酒場にて〜彼女の始まりの物語〜
いつの時代も、不老不死の法に挑む者はあとを絶たない。死者蘇生の法に取り組むものも、またしかり。
フロート公国の首都、その外れにある酒場でのこと。
昼過ぎから降り始めた豪雨のせいで、その日、酒場には客がまったくといっていいほどいなかった。
唯一の客は、ついさっき旅先から戻ってきたばかりの青年のみ。
金の髪に緑の瞳。
服装は黒のローブに黒いズボンという、黒一色の出で立ちの青年だった。年齢は十九歳。といっても童顔であるため、初見で実際の年齢を当ててもらえたことは皆無に等しい。
彼――ルアルド・デベロップは酒場の入り口付近で「うへ〜、濡れネズミ……」と呟き、黒い長マントをぎゅっと絞る。
「こらこらこらこら。そういうのは外でやれ、外で」
半ば予想はできていたが、案の定、酒場のマスターから苦情がきた。それに彼は、わざとらしく大声を出してみせる。
「この雨の中、もう一度外に出ろと!? マスター、あんたは鬼か! 大体、お客様は神様です、が信条のはずだろ、この酒場!」
「その信条、でもその前に同じひとりの人間でもあります、と続くのも忘れんな!」
「くうぅ〜……!」
「ぐぬぅ〜!」
やや華奢に感じられる青年と、筋骨隆々な男性が睨みあう。ちなみにこの二人、六歳ほど離れているように見えて、実は同い年だというのだから驚きだ。
と、唸っていた二人が唐突に笑いだす。お互いの顔にあるのは、目の前の相手に対する親しみの情。
「まあ、とりあえず、よく帰ってきたな。確か、出て行ったのは二年前、だったか?」
「もうそんなに経ったのか? まあ、なんだかんだであちこち行ったからなぁ。――あ、ホットミルク頼む」
「あいよ。――で、あちこちって?」
ルアルドがカウンターにつくのが早いか、マスターは早速、旅先でのことを訊こうとする。
「最初に行ったのはカータリス大陸だな。で、本当はそこからドルラシア大陸に直行するつもりだったんだけど、まあ、色々あってルアード大陸に寄ることになった」
「お前はまた『色々』で済ませようとする。そういうところ、昔から変わらないな。――その『色々』の中身、一体なにがあったんだ?」
「や、本当に色々なんだって。それに、昔のことをベラベラ話す趣味はない」
「そう言うな。というか、一、二年前のことを『昔』っていうのもどうなんだ?」
「いいじゃないか。僕の中では『昔』なんだ」
「お前、ついさっき『もうそんなに経ったのか?』って言ってなかったか?」
「……細かいことを気にする奴だなぁ、相変わらず」
顔をしかめる金髪の青年に、黒髪のマスターは豪快に笑ってみせる。
「根掘り葉掘り聞いてやらないと、お前はすぐに溜め込むからな。ほら、お前がこの街を出て行くことになったあの一件、憶えているか? あれだって――」
「いいんだよ。僕が憎まれ役を買うことですべてが丸く収まったんだから、それで」
「……まあ、あいつは確かに幸せにやってるよ。お前にも予想はついてるだろうが、トーマスの野郎とくっついた。なんでも、もうすぐ母親になるらしい」
「……そっか」
嘆息。それが一番と思って身を引いて、旅に出たとはいえ、相手は初恋の女性。子供の頃は姉のように、リューシャー大陸のあちこちで事件解決に奔走していた十代半ばの頃は異性として慕っていた女性である。
その彼女がトーマス――自分の兄と結婚して、じき母親になろうとしている。歓迎すべきことではあるし、二年前、この街を出るとき、そうなるよう動いたのも自分だったが、それでも自分の抱いていた好意が消えてしまったわけではない。笑って祝福することは、まだちょっとできそうになかった。
「それはそれとして、だ。――旅先での土産話を聞かせてくれたら、今日のメシは俺が奢ってやるが、どうだ?」
そう、それはそれだ。
悔いることに意味はない。いまはただ、気を遣ってくれた友人にニカッと笑顔を向けることにする。
「よし、乗った!」
「早っ! なんというか、お前、切り替え早いなぁ。スペリオル共和国から来たばかりの頃のお前とは大違いだ。ほら、当時は表情がまったくといっていいほど動かなかったじゃないか」
「あ〜……。まあ、あのときは、な。絶望という名の現実に打ちひしがれていたというか……」
「妹さんが亡くなったんだったっけか」
「ああ、僕が殺した」
「おいおい、ちゃんと『ようなものだ』ってつけろよ。そのことはトーマスの野郎だって、お前のせいじゃないって言ってるんだぜ」
「重要なのは主観だよ。真実がどうであったかなんて、どうでもいい」
「……ったく。まあ、心の折り合いがついてるんなら、それでいいさ。で、話を戻すが」
「ああ、ルアード大陸に寄ることになった経緯、だったな。でも、その前に」
「ん? なんだ?」
「いい加減、ホットミルクを出してくれ」
「ああ、はいよ」
酒場の奥に引っ込むマスター。その背中を彼は「やれやれ」と見送った。気心の知れた幼なじみってのはいいもんだな、なんて思いながら。
「ほらよ、ミルク」
マスターからホットミルクを受け取り、それに口をつけながら、ルアルドは語り始めた。
「さてさて、どこから話したものか……。うん、やっぱりあいつのことから話すべきだな」
「あいつ?」
マスターは話しやすいように相槌を打ち、
「ああ。カータリス大陸で出会ったんだ。いわゆる、僕の『同類』のような奴に」
青年はそれに乗って続けていく。
「もちろん一口で『同類』って言っても色々とタイプはあるんだけど、考え方というか、そういうのが同じっていう意味での『同類』だったな、あいつは」
「考え方っていうと、あれか。他人の幸せ最優先で、そのためには自分なんてどうなってもいい、みたいな。その娘もそういうタイプだったと?」
「…………。ああ、まあな。――で、その娘とカータリス大陸で出会ったんだけど、彼女は死んだ父親の尻拭いのため、『アヴァロン』にたどり着きたいと願っていた。『アヴァロン』にある『魔法の品』なら、きっとそれができるはずだって、生前、親父さんに聞いたんだってさ。
というのも彼女の親父さん、不老不死の法を探っていたらしくて、それでちょっと、こう、やらかしちゃったらしい。一応、失敗したあとのことも考えてはいたってことだ」
「『アヴァロン』に『不老不死の法』ときたか! 『アヴァロン』のほうは確か、死後の世界――『階層世界』にあるんだよな。行く方法なんてあるのか?」
「あるさ。まあ、その方法はさておくとして、だ。でも彼女は魔道士じゃなかった。『アヴァロン』を目指したいなんて思っていなかった。でも、幸せだった日々を捨て、彼女は親父さんがやらかしちゃったことの責任をとるためだけに生きていくと決めたんだ。そして、それでいいんだって寂しそうに笑ってた。――正直、見てられなかったよ」
「ああ、お前、そういうの見過ごせない奴だもんなぁ」
「……まあな。同年齢だったことも含めて、僕と被るところは充分すぎるほどにあった」
「同年齢だったのか!? 美人系? 可愛い系?」
「お前、そこに食いつくのか……。そうだな、金髪のポニーテールが印象的な娘で、美人とも可愛いともいえる顔立ちをしてたよ。中間っていうんじゃなく、その二つが見事に同居してたって感じ」
「ほう、いわゆる上玉ってやつか。――口説いたか?」
「ぶっ! そんなわけないだろ! あいつとは、なんというか……。仲間ってやつなんだよ。それも、ただの仲間じゃない。唯一無二の、『たったひとりの仲間』だ」
「仲間、ねぇ……」
マスターはニヤニヤと笑みを浮かべてみせる。
「な、なんだよ。本当なんだからな! コ、コホン。話を戻すぞ。彼女に僕はひとつ、提案をした。お前は『アヴァロン』を探すなんてこと、しなくていいと。親父の代わりに責任を負うことなんてすることないと。なぜなら――」
「なぜなら?」
「僕が、お前の親父さんを生き返らせてやるから、と」
「死者蘇生の法か。成功例はゼロだっていうのに、よく挑んだな、お前も。で、成功したのか?」
その問いに、青年は口の端を自嘲の形に歪めてみせた。嘲笑ったのは過去の自分自身。
「いや、失敗した。魔術だけではなく、科学のほうからも攻めてみようとルアード大陸を訪れ、科学的な側面からは不可能と判断し、当初の目的地であったドルラシア大陸で再度、魔術的な見地から死者蘇生の法を試みたが、すべては無駄に終わったよ。それがいまから半年くらい前のことだ」
「それはそれは……。世界最高と謳(うた)われたお前でも、やっぱりできないことってのはあるもんなんだな」
「当たり前だ。僕だって人間なんだから」
「いや、怪しいもんだぞ?」
冗談めかして笑うマスター。彼は微妙に傷ついた。
「ともかく、僕と彼女の物語はそれでおしまい。ドルラシア大陸の西部で行った魔術実験は誰を生き返らせることもなく、しかし僕たちを『アヴァロン』へと――正確には『本質の柱』へと導いた」
本質の柱。
それは、端的に表すなら『世界が始まったところ』である。触れることで、真理とも呼ぶべき物事の本質を手に入れることができるという、七色に光輝く柱。
ルアルドの言葉に、マスターは絶句する。彼の先祖が『本質の柱』にたどり着いたことは知っているが、まさか彼もたどり着くことができたとは、と。
「死者を生き返らせるってことは、死後の世界――『階層世界』に干渉するってこと。なら、『階層世界』に存在する『アヴァロン』や『本質の柱』にたどり着けても不思議はないだろ?」
「それはそうだけどな……」
「そして、半端者である僕は真理のほとんどを手に入れる前に弾かれ、この世界に帰還させられた」
「……もう一人。ポニーテールの女の子のほうはどうなった?」
「イリスは、戻ってこなかった」
「…………」
マスターは沈黙した。『彼女』がイリスという名であることにも反応せずに。
「『本質の柱』に触れるというのは、本来、死ぬことと同義なんだ。だから、そういうリスクがあることは、お互い、ちゃんと知っていたし、覚悟もできていた。――そんな表情するなよ。向こう側の時間の流れがどうなっているのかを言葉で説明するのは難しいけど、その短くも長かった『僕が弾かれるまでの間』に、ちゃんと納得できるまで言葉は交わせたし、そういう意味では、なにひとつ後悔なんてない」
自分たちにはそれぞれ、世界の平和のためにやるべきことがあった。自分はこの世界で、彼女は『アヴァロン』を拠点とした『階層世界』で。始まりこそ父親の尻拭いだったが、『アヴァロン』を目指すことは彼女の魂が望んでいたことだったのだ。全人類の幸福、その手段を模索するために。
歩く道は違うけれど、それでも、目指すべき理想(ばしょ)は同じだったから。同じ目的のために動いていると実感しているから、いまの孤独にだって耐えられた。たとえ、世界のすべてが敵に回ったとしても、絶対に『自分の側』にいてくれる『たったひとりの仲間』がいると感じられるから。
「僕には僕のやることがあって、彼女には彼女のやることがある。その使命感に突き動かされるような生き方は、他人からしてみれば、あるいは不幸に見えることもあるだろうけど、僕も彼女も、本当に納得しているんだ。
そう、自分の幸福を二の次にして、自分の成すべきことを最後まで成すという生き方に」
少し冷めたホットミルクを傾け、中身を空にする青年。
「僕の成すべきこと。それは大きくわけて二つある。ひとつは、不幸な人間を救うこと」
ルアルドは絶対にひとつのところに留まらない。彼の使命はあくまで『人を救うこと』。救うことができたのなら彼という人間はもう『要らない存在』だし、その人間が彼に依存しているのであれば、それは本当の意味で救ったことにはならない。
ゆえに、彼は常に旅をしている。救ってしまえばあとはなにも要らないとばかりに、次なる地を目指して旅をしている。ひとつのところに留まるなんてことはあり得ない。彼の目的は『救った人と幸せな日々を過ごすこと』ではないのだから。
「もうひとつは、僕と同じ『力』を持った人間をどうにかすること」
「お前と同じ力?」
「そう。ドルラシア大陸で出会ったんだ。イリスとはタイプの違う僕の『同類』、そう言ってもいいかもしれない。そして、僕たちは奴と共にドルラシア大陸の『魔獣』と戦い、勝利した」
「共に戦ったって……。なんか、悪い奴には思えないな、そいつ」
「それはそうさ、別に悪人じゃないんだから。そう、いわゆる戦闘狂(バトルマニア)ってやつさ。強い奴と殺し合いたいだけ。おまけに僕とは違って『力』を完全に使いこなしているものだから、始末に終えない」
「しかし、言葉のニュアンスからして、お前と同等かそれ以上の『力』を持ってる奴が、たかが魔獣なんかに苦戦したのか?」
「? ああ、魔獣って言っても、ドラゴンみたいな俗に言う魔獣とは違うんだ。もちろんモンスターとも違う。ほら、これは『聖戦士』たちが活躍していた時代の話だけど、かつてはどの大陸にも大陸の名をそのまま冠する『聖獣』がいたっていうだろ? それと対を成すほうの『魔獣』」
「ああ、そういえばリューシャー大陸でも、当時のガルス帝国に生息してたって聞いたことがあるな。『聖戦士』たちが倒した、とも」
「そう。リューシャー大陸の『魔獣』は『聖戦士』たちによって倒されてる。まあ、その『聖戦士』たちも『静かなる妖精』と『黒の天使』を除いて、もう全員死んじゃってるわけだけど。――で、話を戻すけど。僕は『奴』と共闘して『魔獣』を倒したあと、一緒に行動しないかって持ちかけたんだ。監視の意味もあってな。そしたら、なんて言ったと思う? そいつ」
「さて、ね。どうせ突っぱねられはしたんだろうが」
「大当たり。そのとき、『奴』はこう言ったよ。『お前と俺が馴れ合うことに意味はない。その関係性は貴様の刃を曇らせることに繋がる』ってね」
「……意外と話が通じる奴みたいだな、そいつ」
「どんな奴だと思ってたんだよ?」
「一人称は『我』で他人のことを『お主』と呼ぶ。でもって事あるごとに『拳で語れ』とか言い出す奴なんだとばかり……」
「最後のは微妙に合ってる気がするなぁ……。まあ、ともかく。そいつを探しだして、文字通り『なんとかする』ことが、いまの僕の目的」
「なんとかって……」
「だから、なんとか、だよ。説得するなり、『奴』よりも強くなって首輪つけるなり、とにかく殺す以外の方法でなんとかする」
「できるもんかねぇ……」
「できるかどうかは問題じゃない。無茶であることは承知の上で、それでもやるって決めたんだから」
「……本当、相変わらずの精神論だな。ご立派ご立派」
「むぅ……。なんか、褒められている気がしない。――あ、それよりもそろそろご飯! いい加減、お腹空いたよ!」
「へいへい、ちょっと待ってろ」
再び酒場の奥へ引っ込むマスター。
同じく、先ほどのようにその背中を見送るルアルド。
彼は思う。
彼女――イリスは本当にあれで幸せだったのか、と。『アヴァロン』に行くことは、彼女の救いになったのか、と。
そしてルアルドは、この二年間の物語を独りでこう結んだ。
「イリスの親父さんを生き返らせるための旅は、僕が『本質の柱』を求めるための旅でもあった。その旅に『つきあった』のは、僕のほうだったのか、それとも彼女のほうだったのか……」
口の端に再び浮かんだ、自嘲の笑みと共に。
<あとがき>
いま執筆している作品がどうにも進まないので、ちょっと気分転換に書いてみました。
で、僕はやっぱり異世界ファンタジーのほうが好きみたいです。世界を自分の好きなように創れるからでしょうかね?
さて、この物語の主人公の認識、実は実際に起こったことと若干の差異があります。とりあえず、イリスは『本質の柱』にたどり着いていません。以前、『座談会』カテゴリの『教えて、イリスちゃん!』内で彼女は確かにそう言っています。まあ、割とどうでもいいことですので、詳しい説明は省きますが。
え? ただ単に考えていないだけだろうって? いやいや、そんなことは(滝汗)。
それはそれとして、この作品は、この物語の主人公が過去に体験したことを語るだけの内容となっております。つまり、ある程度はもう終わった事件というわけですね。
そもそも僕の中では、彼の存在自体、『すでに終わった』人物なのですよ。散々、脳内で動かしまくったキャラクター。完璧に限りなく近くなってしまった存在。
そう、『月姫』などでいうところの『青崎青子』みたいな存在なんです。ひたむきで青かったときはもう過ぎて、いまは飄々とした性格になってしまっているというか。
ちなみに、彼とミーティアたちとを絡ませるのも、時間軸があまりに離れているため、なかなかに難しかったりします。当面は『座談会』くらいしか手段がありません。
でも、『裏の完結編』では彼も登場するはずです。や、それが書けるかどうかはまた別にして。
正直、この主人公の物語も書いてみたいなぁ、と思っているんですよね。僕が中学生くらいの頃に生み出したキャラだからなのか、正直言って、ミーティアやファルカス以上に思い入れていますので。
だから……うん、いつか長編で書いてみたい。
最後になりますが、この作品、『鋼の錬金術師』と『夜明け前より瑠璃色な-Moonlight Cradle-』からの影響をものすごく受けています。というか、彼の物語は、必ずなんらかの作品から大きな影響を受けているんですよ。それが執筆をためらわせる原因でもあったり。
長くなりましたが、楽しんでいただけたのなら嬉しいです。
それでは、また別の作品でお会いしましょう。
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